休暇ゴールデン

ゴールデンウィーク3日目。10連休バンザイ! というわけで実家に帰ってきました。うだうだ。 で、本棚を眺めたら、中学のときの歴史の教科書があった。ちょっと興味がわいたので見返してみる。
ふむ・・・ふむ・・・なんだこりゃあw
中学のとき、近代日本史は先生がすっとばしたからほとんど授業やってないんだけど、今読み返すと面白いことが書いてある。

【大戦後の日本】
(中略)
国内で経済が動揺し、中国で北伐が進むと、武力ででも勢力範囲を確保しようとする動きが強まり、1927〜28年 山東にたびたび出兵した。1928年には中国東北で張作霖爆殺事件を起こした。ついで31年9月、日本軍は奉天均衡で鉄道を爆破し、それを中国側のしわざだとして一挙に東北に軍を進め、中国に対する武力侵略に踏み出した(満州事変)。
日中戦争
(中略)
すでに華北の支配を図っていた日本は、1937年7月北京郊外で日中両国軍が盧溝橋事件がおこると、宣戦布告なしに全中国に戦線を拡大し、上海、南京、武漢などのおもな都市を占領した。この過程で市民を大量殺害した南京虐殺事件をはじめ、多くの虐殺事件を引き起こした。 (中略)
農村では共産党八路軍、新四軍を主力とするゲリラ戦が活発になり、日本軍を苦しめた。日本軍は討伐と称して農村に「三光作戦(殺しつくす、奪いつくす、焼き尽くす)を行ったので、中国側に甚大な犠牲者が出た。

山川出版社「世界の歴史」1997年あたり出版のやつ。まあ当時の日本史ならこれでいいんだろうけどね。今の学生がどう教えられているか心配。
以下はこの教科書の内容に対する否定。気になる人だけ読んで。
張作霖爆殺事件は国際的に不問となった事件です。これにより反日となった張作霖の息子が満州鉄道の真横に安い運賃の鉄道を建設。これに経営危機を感じた関東軍が「独断で」日本政府の承諾を得ずに攻撃を開始。これが満州事変。不問うんぬんや張作霖の息子うんぬんの記述がすっぽり抜けて、日本軍の攻撃についてのみ書いてある。


盧溝橋事件とは。演習中の日本軍が中国軍から突如銃撃を受ける。これにより数時間にわたる銃撃戦が起こり、最終的には中国が「責任者の処分」「現地から中国軍を撤退」「抗日団体の取り締まり」という休戦協定をのむことになった事件。(最初の銃撃は中国側第二十九軍の偶発的射撃であったとする説が有力)。中国側は当然これに反発。蒋介石政権は日本に事実上の宣戦布告日中戦争が開始される。
教科書には「宣戦布告なしに全中国に戦線を拡大し」と書いてあるけど、中国も宣戦布告はしていない。これは日中ともに「戦争状態にしたくない」という理由があったから。宣戦布告をすると戦争状態になる、戦争状態になると第三国は軍事的支援ができなくなる。国際的な孤立を避けたい日本側にとっても、外国の支援なしには戦闘継続できない蒋介石側にとっても不利とされたため、互いに宣戦布告しなかった。べつに卑怯とかそういう話ではない。教科書はこのへんの説明をすべて割愛。


南京大虐殺がなかったことはまあいろんなサイトに書いてあるので詳細は割愛。当時の南京の住民は20万人、一般市民は戦闘開始前に退避命令が出されていた、南京陥落後の人口が20万人より増えてる、12000トンに及ぶ遺体の処分はどうしたのか、6週間で行ったとすれば1日あたり4700人、戦闘しながら民間人を4700人も殺してる余裕があるのか、など、まあ否定材料はいろいろあるので。教科書がこのへんのデータを省いて「虐殺したんだよ」ということだけ書くことに、何らかの意図を感じるのは俺だけですか。
あと覚えておきたいのは、中国は「自国民は12億いるから、1億人くらい死んでも平気」とか本気で考える国です。20万とか30万とかは「虐殺といえばこのくらいだろ」と適当に出した数字です。


ゲリラ兵は敵だから殺しても問題ないし、正規軍じゃないから捕虜待遇じゃなくてもOK(ただし処刑に裁判は必要)。そもそも南京の一般市民には避難命令が出ているのだから、まだ南京に残っていればゲリラ兵とみなされて当然の状況。退避命令や退避中の農民を日本軍が保護したことについては一切記述なし。


三光作戦は、殺すのは戦争だし、南京虐殺に結びつけるため。奪い、燃やすのは、「陥落後に日本軍に使用させない」目的で、中国軍が自ら都市を焼き払う「清野作戦」を日本軍のせいにしたという説がある。なんにしろ中国のプロパガンダに他ならない。


頭の悪い中学時代にこんな教育受けてたら、今頃どうなってたことやら。